親愛なるポンへ。

ポン。 今日、母からお前が亡くなったことを聞きました。 一昨日の夜だったそうですね。春分の日、親戚一同が集まる中、お前はぐったりしながらもみんなにちゃんと挨拶をしたと聞きました。病気なのは分かっていたのに、休日出勤なんかしていないでお前のために帰ってやれればと後悔しています。ごめん、本当にごめん。

 

お前が初めて来た日は今でも覚えています。 11年前の冬、ミーと一緒に、小さいカゴに入って来たね。やんちゃで誰にも懐かず、数ヶ月で家から飛び出していったミーと違って、お前はいつも寝ていてカゴから出ず、家に順応していたね。でも、もうポンはもう覚えていないかもしれないけれど、最初の頃は夜中になると母親のいた家の方を向いて哀しげに鳴いていたってばあちゃんが言ってたこと、今でも覚えているよ。

 

名前をみんなで考える時、お前の目がエメラルドだから「エメラにしよう」と言ったのは高校の時の自分。 顔と尻尾と、興奮した時の尻尾の太さがタヌキみたいだから「こいつはポンだ」と名付けたウチのばあちゃん。 正直、ポンで良かったと思っているよ。

 

1歳の頃に重い病気にかかったこと、覚えてるよね? ずっと後遺症の鼻風邪ひいてたんだから。 ウチの姉ちゃんが、退職金を全部使って、転職の大事な時期なのにお前を一日中抱いて治したんだよ。 「ちょっと体温暖かくなった!」と喜んでいた姉ちゃんも今日、悲しんでたよ。 

 

あの時、力になれずにごめんね。今でも後悔してる。当時の自分は高校に友達なんか誰もいないで、何も信じられなかった。 どうせみんな自分を裏切る、病気になればどうせ死んじゃう。そんな風に思っていた。 でも、お前が姉のおかげで一命をとりとめた時は本当に嬉しかったし、自分の心の狭さに気付いた。 衰弱する様、死ぬ瞬間を見る度胸もなく放置する弱虫って。

 

お前はいつも自分に懐いてくれたね。高校の時はお前は一番の友達だったんだよ。 本当だよ、何度でも言う。お前は一番の友達だったんだよ。

 

大学で東京に行った時も、仕事で福島に戻った時も、帰ってきた時はお前の鳴き声を聞きたかった。あぐらをかけばタコツボのように乗っかってきて、寝ようとすると人のしつこく布団に入り込もうとして、椅子の上では必死に太ももの上に乗り続けようとして。 その間、グルグル喉仏を鳴らすお前が本当に好きだったんだよ。

 

人が信じられない時期もあったけど、親が「ポンはいっつも、お前の部屋で、お前のジャージの上で寝てるんだよ。」と言われると、早く会いたいと思ったし、愛おしい奴だと思ったんだ。

 

3月、最後に会った時にお前は大分衰弱していて、餌も全く食べていないと聞いて、実際にその衰弱している姿を見て焦ったよ。 年だからという親のようにはなれなかった。 どうしても病院に連れて行って、治してやりたかった。

 

病院に連れて行って、確かに先生は「弱っている」とは言ったけど、こんなにあっけなく亡くなるなんて思わなかった。先生も「絶対によくなる」って言ったのに。薬を打って、水も飲ませて、先週の土曜日様子を見て、順調に元気になっていると思ったのに。 明日の土曜日、様子を見に行こうと思ったのに。

 

ポン。お前がいなくなったという現実、今はちょっと考えられないよ。 明日、お前を埋めたという所に行くから。 その時一緒に話そう。 親友、まだ色々と話したい事があるんだ。 

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